Past-Ex
Suguru RYUZAKI Photo Exhibition 『Broken, Your Ray / new map from another country』
Suguru RYUZAKI Photo Exhibition 『Broken, Your Ray / new map from another country』
2017年3月29日(水)~4月17日(月)
※3月30日(木)~4月4日(火)の期間は臨時休業
作家在廊日:3月29日(水)、4月15日(土)、4月16日(日)
アーティストトーク:
4月15日(土) 19:00~ 入場無料
GUEST: 龍崎俊(写真家) × 鈴木理恵(写真家・BIG SOMBRERO)
STATEMENT:
写真は媒体の上には決して存在しないものだと考えます。あなたが見た、乳剤の粒子・コピーの走査線ーそのひとつひとつが分解し、あなた自身の” 過去” もしくは” 未来” と接続した時に初めて眼前に現れると思うからです。それは「image」としてだけ存在し、実存を持たない幽霊のように、僕の手元を離れ永遠に彷徨い続けるのです。
龍崎俊 Suguru RYUZAKI www.sugururyuzaki.com
写真家。1983 年生まれ。東京を拠点に活動中。
武蔵野美術大学造形学部映像学科中退後、ZINE の製作や個展を中心に活動している。2013 年には、「インディペンデントな意思を持ったアーティスト達による、インディペンデントなプロジェクト」というコンセプトに基づいたプラットフォーム / パブリッシングハウスであるSTAY ALONE を発足。
www.stay-alone.com
また2016 年には、音楽家とのコラボレーションワークであるSAVAGE AND THOUGHT を自身で刊行している。
www.savageandthought.tumblr.com
SOLO EXHIBITIONS
2016: “Broken, Your Ray / new map from another country”, THE WORKS / Tokyo-Japan
2016: “Broken, Your Ray”, NO.12 GALLERY / Tokyo-Japan
2013: “the ravens caught your light”, NO.12 GALLERY / Tokyo-Japan
2012: “the ravens caught your light”, NEW ACCIDENT / Ishikawa-Japan
2011: “EPISODE”, NO.12 GALLERY / Tokyo-Japan
2010: “The Strength of Brushstrokes / address to the raven”, SPEAK EASY / Tokyo-Japan
2009: “address to the raven”, Roof / Tokyo-Japan
2009: “shuffle”, Roof / Tokyo-Japan
2007: “Urbanite”, Musashino Art University / Tokyo-Japan
SELECTED EXHIBITIONS
2016: “YYY2 Launch Exhibition”, The Finnish Museum of Photography / Helsinki-Finland
2016: “BY 20 TO 100”, NO.12 GALLERY / Tokyo-Japan
2016: “GOOD SENSE & KIOSK”, THE WORKS / Tokyo-Japan
2015: “NEW GIG2”, ARGUMENT GALLERY / Tokyo-Japan
2014: “NEW GIG”, ARGUMENT GALLERY / Tokyo-Japan
2012: “J NOT B COVER”, Cazahana / Ishikawa-Japan
2011: “PROF”, ONE PEACE / Tokyo-Japan
2011: “CULTIVATE #9”, CULTIVATE / Tokyo-Japan
2009: “shuffle”; “address to the raven”, La Fuente DAIKANYAMA / Tokyo-Japan
2007: “Rlah #2”, BankART Studio NYK / Kanagawa-Japan
【展示記録】
Suguru RYUZAKI Photo Exhibition 『Broken, Your Ray / new map from another country』
ギャラリーの壁を埋め尽くすような大判のモノクロコピーと、柱の陰や扉の裏など、ところどころに貼られたカラープリント。
龍崎俊さんは「手紙」「地図」というキーワードや、アウトプットの方法など、自らの身体と分かちがたい「写真」というものとそれを表現とすることについて、常に考え、そして自分自身の活動基盤をも作り出している。
(そのあたりについて伺ったインタビューはこちら。)
作品や表現というのは結局のところ、その人自身の中からしか出てこないのだから、どうしたって撮る対象やテーマは、パーソナルな部分との結びつきが強くなると思う。というか、そうでしかありえないのではないかとも。
であれば、写真を見る私たちは、おそらく「それを撮った理由」は本当にはわからないだろう。もちろん、そこに作家がいれば、一枚一枚に付随する「その時」については聞くことができるけど、本当のことが語られるかなんてわからないし、作家自身、他人にわかるように完璧に言葉にできるとは思えない。(「もしできるなら小説家になってるわ」と言った人もいた。)
でもそれは説明の放棄やあきらめとは違う。龍崎さんは写真を「手紙」に似ていると言う。ここにいない恋人や家族へ、地上の出来事を収集する大ガラスへ、まだ見ぬ誰かへ、うまく届くかどうかわからないけれど、届けることができるかもしれないポジティブなメディアであると。
龍崎さんは、モノクロコピーによってディティールが失われてしまった、ある種不完全に見えるイメージにこそ、リアリティが宿っているように感じていると言う。その時の、日差しやにおい、五感にまつわるすべて。それを見て私たちはたとえば、「この感じ、知ってる」と思うかもしれない。わかちあえないはずの断片的な他人の記憶をきっかけに、私たちは自分の中から何かを取り出すだろう。それこそが、見ず知らずの誰かから、自分に届いた手紙なのだと思う。
龍崎さんの写真を見て、「愛ですね~」といった人がいた。笑ったけど、そのとおりだなと思った。その瞬間を掴もうとした人がいた。届くかどうかわからない手紙を出した人がいた。
陳腐に聞こえてしまうと思うけど、それを愛と呼ばなくてなんといえばいいのだろう。